駒とめて…

 

駒とめて袖うちはらふかげもなし

佐野のわたりの雪の夕暮れ

藤原定家

 

新古今和歌集に収められている藤原定家の和歌です。
自分が好きな和歌の1つです。
『新古今和歌集』(しんこきんわかしゅう)とは、鎌倉時代初期に編纂された勅撰和歌集です。
全部で二十巻あり、いわゆる八代集の最後を飾るものになります。

「新古今調」といえば、唯美的・情調的・幻想的・絵画的・韻律的・象徴的・技巧的
などの特徴が挙げられます。
定家の父俊成によって提唱された幽玄有心の概念を、
定家が発展させて「余情妖艶の体」を築き上げました。
鎌倉幕府成立以降、政治の実権を奪われた貴族社会の衰退の中で、
滅びや自然への見方に哀調があると指摘されています。

またこの頃は題詠が盛んに行われていたことにより、より華やかな技巧にあふれています。
題詠によって現実的な心情変化の歌ではなく、
定められたお題の中でより複雑に工夫された象徴的な歌が主流になり、
特に上代以来の数々の和歌の歴史が可能にした数多くの本歌取りに特徴があります。
また技法として、余韻・余情をかきたてる体言止め、
七五調の初句切れ・三句切れなどが使われています。

偉そうに講釈垂れていますが、Wikipediaの記事を見てそのまま引用しただけです(笑)
自分がなぜ、この和歌に惹かれるのかという理由は
「新古今調」の説明記事(Wikipediaのコピペ)からもわかると思います。

真冬になり風が冷たく少し物悲しい気持ちになると
自分はこの藤原定家の「駒とめて~」が頭に浮かびます。
冬の心象風景と冬に対する日本人の感じ方にマッチした和歌であり、
たったの三十一文字の中に状況をただ描くだけで伝えるところに凄さを感じます。

 

現代風に置き換えると、出張して終電を逃し、
泊まる宿を探しに駅周辺を歩いている。
あまりに冷たい風に手先がかじかんで息を吹きかける。
白い息を吐きながら途方に暮れて暖かい缶コーヒーを飲む。

 

そんなイメージがたったの三十一文字の中に込められているわけです。
作者の気持ちには一切触れていないのに状況だけで
読む人にそういう気持ちにさせる。
直接主張しなくても状況を描くだけで自分の意図しているものを伝える。
こういう作風は自分は好きです。

 

お正月に百人一首を家族で遊んだりする際に、
札にかかれている和歌について考えて見るのも趣があります。

お気に入りの和歌を探してみるのもいいかもしれませんね!

 

今年も残りわずかです。
クリスマスも終わりましたので皆さんよいお年を!

 

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